社会保障制度の中核である公的年金は、受給者のリタイア後の生活を支える重要な仕組みです。
しかし、その支給額や受給開始年齢は経済情勢(物価や賃金の変動)や法律の経過措置によって毎年複雑に変化します。
この記事では、2026(令和8)年度における年金額改定の動向をおさらいするとともに、今年度に受給年齢を迎える民間企業出身の男女2名の具体的なキャリア・加入履歴をベースに、老齢基礎年金および老齢厚生年金の計算実務、さらには働きながら年金を受け取る際の「在職老齢年金」の注意点までを網羅的に解説します。
1. 2026(令和8)年度の年金額改定まとめ(前月号のおさらい)
年金額は、物価の動向や現役世代の賃金水準の変動に連動して毎年見直し(改定)が行われます。2026(令和8)年度の年金額改定においては、以下の経済指標の動きがベースとなりました。
- 物価変動率:+3.2%
- 名目手取り賃金変動率:+2.1%
通常、物価変動率が名目手取り賃金変動率を上回る場合は、現役世代の負担能力(賃金)に配慮するルールに基づき、「名目手取り賃金変動率(+2.1%)」を用いて年金額の改定を行うこととされています。
ここに、公的年金財政の長期的な安定を図るための調整仕組みである「マクロ経済スライド」が発動します。
今年度のマクロ経済スライドによるスライド調整率は ▲0.2%(内、厚生年金の報酬比例部分は ▲0.3%)と設定されました。
これらを差し引いた最終的な今年度の改定率は以下の通りです。
- 老齢基礎年金(定額部分など)の改定率:+1.9%(+2.1% − 0.2%)
- 老齢厚生年金(報酬比例部分)の改定率:+1.8%(+2.1% − 0.3%)
この結果、2026(令和8)年度における老齢基礎年金の満額(新規裁定・昭和33年4月2日以降生まれの方)は年額 84万7,300円(月額換算で約7万608円)となりました。
計算実務の注意点
実際の年金額の計算においては、前年度の改定率をそのまま累積していくのではなく、毎年度定められる基準額(法律上の「指標額」)にその年度の改定率を乗じて端数処理を行う厳密なステップがとられます。
2. 厚生年金受給開始年齢の「男女差」と2026年度の対象者
我が国の公的年金制度では、かつて60歳から支給されていた厚生年金を本来の「65歳支給」へと段階的に引き上げる措置が行われてきました。
この引き上げの過程で導入されたのが、60歳から65歳になるまでの間に支給される「特別支給の老齢厚生年金」です。
重要なのは、この特別支給の老齢厚生年金の受給開始年齢には男女で「5年のタイムラグ(差)」があるという点です。
男性のスケジュールに遅れて女性の引き上げが実施されているため、今年度(2026年度)に何歳になるかによって、受給できる年金の種類が大きく異なります。
- 男性の場
すでに特別支給の老齢厚生年金の仕組みは完全に終了しています。
今年度新たに受給権を得るのは、1961(昭和36)年4月2日以降に生まれた「65歳」に到達する方であり、最初から本来の老齢基礎年金と老齢厚生年金が支給されます。 - 女性の場合
男性より5年遅れて制度が移行しているため、今年度は1963(昭和38)年4月2日〜1965(昭和40)年4月1日生まれの「63歳」に到達する方に、特別支給の老齢厚生年金(報酬比例部分のみ)の受給権が発生します。
3. 【事例1】2026年度に65歳に到達する男性(Aさん)の年金計算実務
Aさんは長年民間企業に勤め、今年度中に65歳を迎えて本来の老齢年金の受給権が発生する男性です。
👤 Aさんのプロフィール・加入履歴
- 生年月日
1961(昭和36)年8月23日生まれ - 受給権発生時期
2026年8月(65歳到達月)に受給権が発生し、翌月(9月分)から支給開始。 - 国民年金未加入期間
学生時代の 32か月(当時は任意加入だったため未加入) - 厚生年金被保険者期間
2003(平成15)年3月以前(総報酬制導入前):228か月
2003(平成15)年4月以降(総報酬制導入後):60か月(60歳到達・退職まで) - 平均標準報酬額等
平成15年3月以前の平均標準報酬月額:30万円
平成15年4月以降の平均標準報酬額:44万円
3-1. Aさんの「老齢基礎年金」の計算
老齢基礎年金は、20歳から60歳までの40年間(480か月)の全期間について保険料を納付していれば、満額(今年度は84万7,300円)が支給されます。
しかし、Aさんには学生時代の未加入期間が32か月あるため、その分が減額されます。
- Aさんの老齢基礎年金算出額:79万813円(年額)
3-2. Aさんの「老齢厚生年金(報酬比例部分)」の計算
厚生年金の計算は、2003(平成15)年4月を境に「賞与(ボーナス)」を計算に含める「総報酬制」が導入されたため、それ以前と以後で分けて計算し、合算します。
さらに、それぞれの期間の計算結果に対して、今年度の改定率や経過的給付の再評価率が乗じられます。
- 2003(平成15)年3月以前の期間の計算
平均標準報酬月額(30万円)に給付乗率および被保険者期間(228か月)を掛け合わせます。
さらに、生年月日等に応じた再評価率や今年度改定率(+1.8%分)に相当する係数が適用されます。 - 2003(平成15)年4月以降の期間の計算
賞与を含めた平均標準報酬額(44万円)に、総報酬制対応の給付乗率および期間(60か月)を掛け合わせます。
こちらも同様に今年度水準の係数が適用されます。
これらの (1) + (2) を合算したものが、Aさんが受け取る老齢厚生年金(報酬比例部分)の総額となります。
なお、厚生年金の加入期間が合計で288か月(228か月+60か月)となり、30年(360か月)未満であるため、上限である480か月には達していません。
端数処理(1円未満四捨五入)を行い、最終的な老齢厚生年金額が決定します。
Aさんの最終的な年金受給総額は、この「老齢基礎年金(79万813円)」と「老齢厚生年金(報酬比例部分)」を合算した金額になります。
4. 【事例2】2026年度に63歳に到達する女性(Bさん)の年金計算実務
Bさんは今年度63歳になり、特別支給の老齢厚生年金の受給権が新たに発生する女性です。
👤 Bさんのプロフィール・加入履歴
- 生年月日
1963(昭和38)年4月15日生まれ - 受給権発生時期
2026年4月(63歳到達月)に受給権が発生し、5月分から受給可能。 - 国民年金未加入期間
学生時代の 36か月 - 厚生年金被保険者期間
2003(平成15)年3月以前:204か月
2003(平成15)年4月以降:36か月(60歳到達まで) - 平均標準報酬額等
平成15年3月以前の平均標準報酬月額:30万円
平成15年4月以降の平均標準報酬額:40万円
4-1. Bさんの「特別支給の老齢厚生年金」の特徴と報酬比例部分の計算
Bさんは、1963(昭和38)年4月15日生まれの女性であるため、前述した「引き上げの男女差(5年のタイムラグ)」の対象となります。
これにより、63歳から65歳に達するまでの2年間、特別支給の老齢厚生年金(報酬比例部分のみ) を受給できます。
⚠️ 受給に関する注意ポイント
特別支給の老齢厚生年金を受給している63歳〜65歳未満の期間は、定額部分(老齢基礎年金に相当する部分)は一切支給されません。また、この期間中に基礎年金の繰上げ受給などを選択することは原則できません。
報酬比例部分の計算(【図表3】の適用)
Bさんの厚生年金加入期間をもとに、Aさんと同じく2つの期間に分けて計算を行います。
- 平成15年3月以前(204か月)
平均標準報酬月額30万円をベースに計算。 - 平成15年4月以降(36か月)
平均標準報酬額40万円をベースに計算。
これらを合算して今年度の再評価・改定率を反映すると、Bさんの特別支給の老齢厚生年金額(報酬比例部分)は、年額で104万115円(1円未満四捨五入)となります。
Bさんは63歳から65歳になるまでの間、この年額約104万円を分割して受け取ることになります。
4-2. Bさんの65歳以降の「老齢基礎年金」の計算
Bさんが65歳に達した段階で、特別支給の老齢厚生年金は終了し、本来の「老齢基礎年金」および「老齢厚生年金」の受給へと切り替わります。
その際の老齢基礎年金は、Aさん同様に学生時代の未加入期間(36か月)を差し引くと 783,752.083…円。
1円未満を四捨五入し、最終的な老齢基礎年金額が算出されます。
5. 働きながら年金を受給する際の注意点「在職老齢年金」の仕組み
事例のAさんやBさんのように、年金の受給権が発生した(63歳や65歳になった)後も、民間企業等で厚生年金に加入しながら働き続ける人は少なくありません。その際、必ず理解しておかなければならないのが「在職老齢年金」のルールです。
在職老齢年金とは、働いて得る「給与・賞与」と、受け取る「年金(厚生年金)」の合計額が一定の基準を超えた場合に、厚生年金の一部または全部が支給停止(カット)される仕組みです。
5-1. 支給停止を判断する2つの要素
支給停止となるかどうかの判定は、以下の2つの要素の合計額で行われます。
- 基本月額
加給年金額を除いた、老齢厚生年金(または特別支給の老齢厚生年金)の「報酬比例部分」の月額換算額です。
老齢基礎年金はどれだけ稼いでもカットされないため、この計算からは除外されます。 - 総報酬月額相当額
毎月の「標準報酬月額」に、直近1年間の「標準賞与額(ボーナス)」の総額を12で割った額を足した、「平均的な月々の現役収入」を指します。
5-2. 2026(令和8)年度の支給停止調整額「50万円」と計算例
この「基本月額」と「総報酬月額相当額」の合計が、その年度に定められた「支給停止調整額」を超えた場合に減額が始まります。
- 2026(令和8)年度の支給停止調整額:50万円
- 合計額が50万円以下の場合:年金は「全額支給」(支給停止額はなし)となります。
- 合計額が50万円を超える場合:50万円を超えた金額の「2分の1」に相当する額が、毎月の年金(基本月額)から差し引かれます。
📝 具体的な支給停止額の計算例
例えば、基本月額が10万円(年額120万円の厚生年金)、現役での総報酬月額相当額が46万円の人がいたとします。
- 二つの合計:$10万円 + 46万円 = 56万円$
- 基準(50万円)をオーバーした額:56万円 - 50万円 = 6万円
- 支給停止される額(月額):6万円 {1}{2} = 3万円
この場合、本来10万円もらえるはずの厚生年金月額から3万円が差し引かれ、実際に支給されるのは7万円となります。
仮にこの計算で支給停止額が基本月額(この例では10万円)を上回ってしまった場合は、厚生年金は「全額支給停止」となります。
この支給停止調整額(50万円)のラインも、賃金や物価の変動に合わせて毎年改定されます。
シニア層が就労プラン(労働時間や基本給の調整)を立てる際には、この在職老齢年金の仕組みに引っかからないか、あらかじめ「ねんきん定期便」や年金事務所の試算を用いてしっかり確認しておくことが極めて重要です。
まとめ:実務における専門家からのアドバイス
2026(令和8)年度の年金額はプラス改定(増額)となりましたが、受給者本人の過去のキャリア(未加入期間の有無など)によって、満額から減額されるケースは非常に多く存在します。
さらに、女性の63歳到達者に適用される「特別支給の老齢厚生年金」のように、過渡期特有の複雑な経過措置を正しく理解していないと、受給できるはずの権利を見落としたり、65歳以降の本来の年金との違いに困惑したりする原因になります。
老後のライフプランや就労調整を最適化するためにも、最新の年度改定率や在職老齢年金の基準額(今年度は50万円)を念頭に置き、実際の受給見込額の構造(図表2・3の算式など)を一度しっかりと確認しておくことをおすすめします。
